須賀秀文 6/5

私はあなたの言葉を待っている
私は私の言葉を懐に忍ばせて
私はあなたの言葉を待っている
私は私の言葉を精錬して
私はあなたの言葉を待っている

万葉集』は、いまから約1300年前に詠まれた四千五百余首の歌を収める、日本最古の歌集である。その巻頭を飾る雄略天皇作の長歌に秘められた意味を、歌人早稲田大学名誉教授の佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな)氏に解説いただいた。



* * * 


籠(こ)もよ み籠(こ)もち ふくしもよ みぶくし持ち この丘(をか)に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾(われ)こそをれ しきなべて 吾(われ)こそませ 我こそは 告(の)らめ 家をも名をも (巻一・一)



(籠よ、立派な籠を持ち、掘串(ふくし)よ、立派な掘串をもって、この岡に菜を摘んでおられる娘よ。家と名前を申せ。この大和の国は、すべてこのわれが治めているのだ。全体的にわれが支配しているのだ。まずはわれこそ、家も名も教えてやろう)


春の一日、カラフルな衣装に身をつつみ、岡で草を摘んでいる娘たち。そこへ通りかかった、堂々たる体軀に立派な髭をたくわえた大和の王者が、娘の一人(敬語が使われているので神に仕える女性でしょう)を見そめて、呼びかける──これは求婚の歌です。と同時に、三度も繰り返される〈われ〉の強烈さの前には求婚された娘は「ノー」と言えなかったはずだという意味で、成婚の歌でもあります。



じつはこの歌、「天皇の御製(ぎょせい)の歌」と題詞にはあるものの、雄略天皇が実際に作った歌だとは考えられていません。もともとは共同体のなかで、毎年春、農耕開始に先立つ時期に、演劇的・舞踊的な所作を伴ってうたわれた伝承歌だろうとみられています。結婚とは子孫を繁栄させることだから、その歌を農耕に先立ってうたうことは、とりもなおさず五穀豊穣を約束することになる。つまり、豊作を予祝(よしゅく)する(あらかじめ祝う)のです。



それを支えているのが、言葉に霊力が宿ると信じる「言霊信仰」です。万葉集の時代の人々(万葉人)は、〈言〉と〈事〉は重なりあうものと考えていました。「豊作だ」と言葉を発すると、言(言葉)のもつ霊力が事(現実)を引き寄せて、めでたくも豊作がやってくると信じたのです。その際彼らは、日常の言葉で言うよりも歌の形でうたわれる言葉のほうが、言霊は威力を発揮することを知っていた。そこで、この「王者の結婚」の歌が作られ、その主人公の王者(すなわち作者)が、数々の武勇と恋の伝説につつまれた古代(万葉人から見た古代)の代表的な帝王である雄略天皇に仮託されたのだと思われます。



そうした共同体の儀礼や伝承を踏まえたうえで、万葉集の編纂(へんさん)者は、遥かに先行する時代の偉大な帝王に敬意を払いつつ、大らかでめでたく、縁起のよいこの歌を巻頭に据えたのでしょう。このことは古代歌集としての万葉集の一面をよく物語っています。



■『NHK100分de名著』2014年4月号より




魔法のことば      
エスキモー族    
訳/金関 寿夫



ずっと、ずっと大昔

人と動物がともにこの世に住んでいたとき

なりたいと思えば人が動物になれたし

動物が人にもなれた。

だから時には人だったり、
時には動物だったり、
互いに区別はなかったのだ。

そして
みんながおなじことばをしゃべっていた。

その時ことばは、みな魔法のことばで、

人の頭は、不思議な力を持っていた。

ぐうぜん口をついて出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった。
ことばは急に生命をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった――

したいことを、
ただ口に出して言えばよかった。

なぜそんなことができたのか

だれにも説明できなかった。

世界はただ、
そういうふうになっていたのだ。

金関寿夫「アメリカ・インディアンの口承詩 魔法としての言葉」           (平凡社ライブラリー)より

【MEMO】
儀式の歌として、部族全員で歌い伝えてきたアメリカ・インディアンの口承詩を読むと、言葉が力強く発せられていることに驚きます。
信じていることが言葉になっている、言葉に言霊があるのです。アメリカ・インディアンの詩を、「魔法の詩」として紹介した金関寿夫(1918・大正7年~1996年・平成8年)は、こう記します。「『コトバこそ力』なのである。コトバは彼らのすべての行為の背後に立ちはだかり、彼らの行為を見守っている。コトバは彼らの誓い、コトバは彼らの良心に等しいのである。そして詩(歌)をとなえるすべてのインディアンは、彼らが発声する一つ一つのコトバが、自分自身、あるいは自分が関心をもつ対象のなかに変化を起こしうると信じている」
生命力をもつ言葉、それは魔法の言葉です。