須賀秀文 7/12
弓の弦
暁目覚め
影法師
夢の後先
鳥たちの
音符にそっと
触れてみる
知らぬ知らぬの
またさらに奥
木を生む野
はるか昔の
恋の詩
押して押される
いつものように
「ファンは、いつ離れて行ってしまうか分からない。最後には一人になってしまう。だから不安(フアン)や…」
花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、それまでの古典的な舞台芸能である「色物萬歳」に代わり、「しゃべくり漫才」へのムーブメントを作った。現在の漫才スタイルの元祖と言える。
無名時代にはペンネームは四季を捩った「春野仲明」「夏山茂」「夏輪篤」「冬賀北蔵」等を用いた。たまたま「婦人公論」に用いた「秋田實」の時評が評判がよかったのでそのままペンネームに用いるようになった。
秋田とエンタツは、漫才には「だれでも共感の持てる無邪気な話」がよいと意気投合し、これが秋田が漫才作家となるきっかけとなり、エンタツのマンザイは「無邪気な笑い」を特徴とするようになる[1][2][3]。